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あすという日が  大震災から3年

2011年3月11日、午後2時46分。時計が止まったままだ。

あの時、1週間ほど職場で寝泊まりした。ほとんど自宅に帰れなかった。

仙台の街の照明は消えた。真っ暗に近い仙台を見たのは初めてだった。電車も止まり、仙台駅などは人で溢れた。

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帰宅困難者の避難所となった近隣の学校も人で溢れた。津波に襲われた仙台の荒浜や蒲生地区の方々の避難所となった若林区の学校や市民センターなども人で溢れた。

止まった新幹線や電車から降りてくる乗客で人が溢れた。

停電となり、テレビは見ることができない。唯一情報源となったのはラジオだった。電池で聞こえるラジオだけが頼りだった。今でも記憶に残るラジオからの報道は「仙台の荒浜地区に多数の遺体」が、繰り返し報道されたことだ。津波は,若林区役所まで到達という報道まであった。東京で勤める娘からメールがあった。みんな大丈夫と・・・。

二人で暮らす義父母が心配になり、真っ暗な夜道を自転車をこいで確認しに行った。近くの学校に避難しているのではないかと思い、探した。無事だった。下の娘も心配で愛犬を連れて行ってくれた。

我が家の食器類は・・・。

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我が家のスイフトには、コンクリートの塊が落ちた。誰もいなかったからよかった。

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そして翌日の新聞は、次のように。

 

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1年後の新聞は、こう報じている。

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震災から数日後、神戸や新潟からお手伝いに来てくれた。有り難かった。阪神淡路大震災を経験している神戸市からは、たくさんのノウハウと多大なる支援をいただいた。多くの被災者が、助けられた。被災後、いろいろな方に助けられ、おつきあいをさせていただいた。

感じたことは、都会ほど、自助から共助への進行は遅いということだ。きっと、大災害が起きたときに、大都会では、共助という行為に移るまで相当な時間を要するだろう。震災後、大学時代の友人から職場にメールが届いていた。しばらくしてから同僚が教えてくれた。「生きているか?」の一言だった。でも、嬉しかった。ワインセラーでお世話になった、東京のドメティックのMさんからも連絡があった。山形の薪ストーブの「ぜいたくや」さんからも。

震災から1年4ヶ月ほど経った2012年の夏、中野小学校に避難した仙台の蒲生地区のKさんから連絡があった。当時のことを記したので、読んでくださいと・・・。Kさんこう記していた。

 

あの大きな揺れからどのぐらい時間が経ったかはわからないが,職員室の中から「津波がきているぞ」と大きな叫び声が聞こえた。教室にいた児童や,廊下や階段付近にいた人達に屋上に避難するように大声で叫びながら校舎内を駆け回った。中野小学校の先生方や各町内会の役員の方々,避難してきた近隣の工場に勤めている若い人達などと協力し合いながら,互いに大声で叫びながら屋上へ駆け上がるよう誘導をした。

避難の際,多くの人達が,悲鳴や泣き声,そして大きな叫び声を出し,あわてふためきながら屋上へ駆け上がり,指示に従っていた。高齢者・怪我された方や障害を持った方々には,手助けするなどをし,お互いに協力し合ったので,幸いに屋上へ避難するときには,転倒事故などの二次災害は無かった。

屋上へ避難した私たちが,どす黒い津波が押し寄せ,すべてのもの破壊するあの情景を見たときに,地震の恐ろしさと,津波のすさまじさに言葉も出なかった。

七北田川を見たとき,津波の2波か3波のいずれかと思うが,引き潮によって川底が見えたときには血の気を失うような怖さを感じた。

屋上から見た蒲生町内や港町内の情景は,太平洋と七北田川から流れ込んだどす黒い波によって一変した。これまで長年にわたり住み慣れ,数多くの思い出やそれぞれの思いの詰まった多くの住宅は,跡形もなく無残な姿に壊され,どす黒い波が漂う海に数多くの家屋や自動車などが流されていた。

屋上のフェンス越しから津波の押し寄せる状況を見ていた人達は悲鳴や泣き声や悲痛な叫び声をあげた。落胆する姿の人達が多くいた。

避難した人達が,近くの人と互いに声を掛け合いながら,慰め合ったり,励まし合ったりしている姿を屋上の所々で見かけた。

徐々に気温が下がり始め,雪が降り出し,寒さが身にしみるようになり,避難していた人達は肩を寄せ合いながら寒さをしのいでいた。

震災から3年経った今日3月11日、蒲生の慰霊碑の前に、これを綴った冊子が置かれていたと、同僚が教えてくれた。きっとKさんが置いたのだろう。

SING ALL JAPAN 東日本復興応援プロジェクトも思い出した。「あすという日が」の曲が良く流れた。

 

 

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