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「なじむ」ということ  天野祐吉さんが亡くなる

朝日新聞に週に一度掲載されていたCM天気図の天野さんが亡くなった。さびしくなった。いつも、記事を楽しみにしていた。時には、スクラップしていた。2012年9月12日に、こんな文章があった。

 クルマのCMが変わってきた。豪華さやスピードを売り物にするCMは古くさくなりつつある。ホンダ・フィットの「なじんでいく」というCMがいい。

「新しいモノを手にした瞬間はうれしい。でも、いい靴やソファを使いこむように、モノとじっくりつきあううれしさも、私たちは知っている。いま、クルマを選ぶモノサシって?」

 

 ツクリは地味だが、ここには、モノとヒトの関係を,あらためて問い直そうとする姿勢がある。

 

 たしかにぼくらは、新しいモノをせっせと買い、さっさと使い捨てるということをしてきた。で、広告もそれを後押しするものが多かった。が、経済成長の限界がはっきり見えてきたいまは、もう違う。新しいモノを次々に追いかけることから,モノとじっくりつきあう時代に変わろうとしている。

 

 60年代のアメリカにこんな広告があったのを思いだした。

 

 自宅の庭に置かれた2台のクルマ。フォルクスワーゲンと古いA型フォード。その間に立つ長身の老人。「この人は33年ぶりに新車を買いました」というコピー。

 

 それによると,78歳のアルバート・ギリスさんは、1929年のA型フォードと33年間もうまくつきあってきた。が、とうとう新車が必要になり、フォルクスワーゲンを買った、という。

 

 当時のアメリカは豪華さや新奇さを競い合う派手な新車合戦のさなかである。そんな中であえてこの人は地味だが誠実そうなフォルクスワーゲンを,これからの長いつきあい相手として選んだという話である。

 

 ところで、昔から僕は,自分の足になじむ靴がなくて苦労している。で、仕方がないから,靴になじませている始末だ。

  

 モノとじっくりと付き合う時代に変わろうとしていることは、実感できると思ったし、そうしないといけないのではないかと思った。資源の少ない日本は特にそう思う。大量消費国になっている日本の一番の課題のように思う。「もったいない」という気持ちが必要かも・・・?

 小生も最近、以前よりもモノを大切にするようになったと思う。しかも「なじむ」という感覚を覚えるようになった。バイクも、車も、着るモノも、履くモノも。そして、普段使うものも。

 40年前、高校の時に買ってもらったスピーカーとレコードプレイヤーがまだ生きている。

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スピーカーはSONYのウルム。

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プレイヤーはパイオニアのPL1200のダイレクトドライブ。

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流石にアンプはだめになって、10年以上前に替えた。時々、レコードをかけると、アナログの温かな音が、気持ちを癒してくれる。帰宅後、久しぶりにポールモーリアを聴きながら食事をした。40年前のシーンが蘇ってきた。

 R100RSも34年前のモノだ。最近とんがったデザインが多いが、柔らかな曲線が、気持ちを穏やかにしてくれる。今あるモノをもっともっと大切にしていこうと思う昨今である。

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